2015年6月11日木曜日

沖縄大学の5・28声明と自治会執行部への処分策動を弾劾する!



沖縄大学の5・28声明と自治会執行部への処分策動を弾劾する


 沖縄大学は5月28日付で「本学学生のみなさんへ」なる声明を掲示板に貼り出しました。さらに学生部は、6月3日付で沖大学生自治会の赤嶺知晃委員長と盛島琢允副委員長への呼び出しを行いました。呼び出し理由は「5月18日(月)の集会行為について話を聞くため」だそうです。
 集会当日、あれほど多くの職員が監視し、ビデオ撮影までしておきながら、今さら一体何を聞くことがあるのでしょうか? どちらも、5・18沖大キャンパス集会と執行部選挙の勝利に対する反動であり、今まさに全島ゼネストに向けた闘いの先頭に立つ沖大生の2人のリーダーを処分するためのものです。そして、彼らを執行部に選んだ沖大生を「立ち上がるな」と恫喝し、団結を破壊するためのものです。絶対に許せません!
 「沖縄戦をくり返すな!」「もう基地はいらない!」と立ち上がっている140万県民に対して、これほどの裏切り行為があるでしょうか! 沖大生がこの闘いの先頭に立ち、キャンパスで集会をするのは当たり前のことではないですか! これを「無許可」だの「学内の安寧秩序を乱す」だのと言いなし、自らの裏切りを正当化するためだけに学生を処分しようとする沖大当局=仲地博学長を怒りを込めて弾劾します。

沖大生の力で戦争・基地建設止めよう!5・18キャンパス集会&デモ
これを仲地学長は「安寧秩序を乱す」行為として、処分しようとしている

 第一に、これが2人のみならず、沖大学生自治会と全沖大生、140万県民に対する敵対であることをはっきりさせなければなりません。

 沖大学生自治会が5月18日に行ったキャンパス集会とデモは、セルラースタジアムを埋め尽くした前日の県民大会の熱気と高揚を引き継ぐものとして多くの沖大生の注目と参加を得て大成功しました。後者の踊場に集まってきた沖大生に対して、赤嶺委員長は「71年ゼネストで沖大生が先頭に立ったように、沖大からストライキに立ち上がろう」と訴え、盛島副委員長は「全国の学生と一緒にデモに出よう」と訴えました。キャンパスから与儀公園までのデモは大注目を浴び、沖大生と全国学生のデモ隊列には沿道や建物の窓から多くの人びとが手を振り、声援を送ってくれました。
 一方、沖大当局は、またも学生自治会の集会申請に対して「学生だけでの使用」を理由にこれを拒み、「無許可のまま開催するなどした場合…厳正な対応をとる」などと集会破壊を警告しました(5月15日)。しかし、沖縄の怒り、沖大生の怒りに触れるのを恐れて、昨年のような全国学生の排除や「帰れコール」をできず、中庭周辺に集まってきた学生に職員が「そこに立っていたら参加者と思われるよ」などと声をかけるのが精一杯でした。
 続く再建2年目の自治会執行部選挙でも、沖大生の怒りと意思ははっきり示されました。選挙は「沖大生の力で辺野古新基地建設止めよう! ゼネストで戦争を止め、沖縄から基地をなくそう!」「戦争反対の声も自由に上げられない大学はおかしい。沖縄大学を戦争反対のとりでに!」と訴える赤嶺-盛島統一候補への信任投票として行われ、昨年を倍する209票の投票と156票の信任で2人が委員長-副委員長に選出されました。「県民大会に自分も行きました」という学生が何人も投票してくれました。
 2人への呼び出しと処分策動は、こうした沖大生の圧倒的決起に対する敵対であり、辺野古新基地建設阻止の闘い全体に対する犯罪的裏切りです。
 沖大当局は、職員が候補をつけ回し、「許可無き拡声器の使用、ビラの配布は禁止」なる看板を警備員に持たせ、選挙妨害を試みました。しかし、沖大生の爆発的投票行動は、彼らの戦争協力者としてのおぞましい姿を暴き出したのです。

 第二に、沖大当局=仲地博学長は、今回の声明で、自らが「警察白書」=国家権力の立場に立つことを表明しました。

昨年の声明では、自分が組織した「帰れコール」などを使って、一部の「学生の声」を盾に集会を「迷惑だ」と非難していました。しかし、今年の集会は、そうした妨害が一切できず、開放的な集会となりました。追いつめられた当局は、今回の声明で「学生の声」ではなく「警察白書」を押し立てています。「過激派、極左暴力集団による集会・デモだ」と叫びたてて、学生集会を弾圧することを合理化しようとしているのです。これはまさしく、辺野古の闘いを「過激派」「犯罪者」とののしって弾圧している安倍政権と同じ立場を表明するものです。
昨年の声明(2014年5月20日付)

声明は「大学は、主義主張により個々の学生の自主的活動を否定することはいたしません」と言ったすぐ後に「ただし、…安寧秩序を乱す行為は断じて認めることはできません」と言っています。
 ここで集会を非難している「安寧秩序を乱す」とは一体なんでしょうか?
 「安寧秩序」とは旧憲法=大日本帝国憲法の言葉です。

■大日本帝国憲法
 第九條 天皇ハ・・・公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ增進スル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ・・・

 ここでは天皇が絶対的存在で、国の安泰と秩序が最優先され、その限りで天皇の赤子である「臣民」に幸福を与えてやるという考え方でした。個人の権利、集会やデモは、「公共ノ安寧秩序」の名の下に厳しく制限されていたのです。
 今、安倍政権・自民党は、戦争法制定を狙うと同時に現行憲法を改悪し、「公益及び公の秩序」という言葉で、この考え方を復活させようとしています。仲地博学長も、これと同じ立場で、反戦集会やデモは国家の安泰と秩序=安寧秩序を乱す行為だから、弾圧しても構わないというのです。
 仲地博学長は昨年6月の外部評価委員会では、国家権力=警察と一線を画す体裁をとっていました。
「仲地学長の報告が凄く印象的だった。自治会復活会で外部から三○人くらいやってきたときに…外部からの人間を入れなかったし、警察も学内に入れなかったことを非常に高く評価する(※実際には警察は入っていましたが)」「『学問の自由』と『大学の自治』ということは基本中の基本」(昨年6月5日、沖縄大学の外部評価委員会での岡本由希子委員の発言より)
 全国の学生を排除したことを「大学の自治」と言うふざけた報告ではありますが、同時に警察と一線を画す「リベラルさ」を売りものにしていたのです。
 ところが仲地は、今や「大学の自治」の建前すら投げ捨てて国家権力に投降し、「安寧秩序」を望む権力の立場から沖大生の決起を弾圧する意思をむき出しにしたのです。

 第三に、これが沖縄の怒りを安保=体制の枠内に押さえ込もうとしてきた「オール沖縄」の行き着いたなれの果てだということです。

昨年の声明では、沖大当局は、「『労働運動と学生運動の力で沖縄を「国際連帯=革命」の島へ』と主張する団体と、沖縄の大衆運動、市民活動との異質性について丁寧に学生の皆さんに伝えていきます」と、「オール沖縄」の立場から路線の違いについて講釈をたれていました。
 しかし今、戦後70年の沖縄で爆発している怒りは、「オール沖縄」を乗り越える戦争・基地絶対反対の怒りであり、「振興策」=新自由主義政策のペテンへの怒りであり、一切の元凶である帝国主義を打倒するまでやむことのない怒りです。闘いは「71年の二度の全島ゼネスト」を引き継ぐ安保粉砕、安倍打倒のゼネストへと向かっています。
 こうした情勢の進展は、一方で沖大学生自治会の求心力を強めるとともに、口先で「辺野古新基地反対」を語りながら、実際にはこの闘いの非和解化、ゼネストへの発展を恐れる「オール沖縄」の限界を突き出しました。そしてその正体は、安倍の戦争政治に加担する仲地学長の集会弾圧、処分策動という形で最も鋭く暴かれたのです。

 第四に、しかし、こんな犯罪的な処分策動はただちに仲地学長の墓穴に転じるほかありません。学生処分への怒りは、必ず2人に向かっての沖大生の団結と決起に転じます。

今回の声明は、昨年の声明と比べても本当に薄っぺらいものです。昨年は自治会復活会ではなく「学外者」が主導した集会だとわい曲していましたが、今回は赤嶺委員長を「筆頭と」した「本学非公認の団体である『沖縄大学学生自治会』」が主催した集会だと認めざるを得なくなっています。
 何より、声明を出すのに10日間もかかり(昨年は翌日に出しました)、自治会選挙後に出したのに、沖大生の投票結果については一言も触れられていません。「本学非公認の団体」と言いながら、沖大生の2倍の投票、信任に触れられないことにこそ、この声明の最大の本質と弱点があります。
 こんなデタラメな処分は絶対に粉砕できます。何より、当面、2人の怒りを先頭にした安保国会粉砕6・15への大結集、自治会運動の強化こそが処分を粉砕する道です。沖大からの6・15への大結集で仲地学長体制を安倍もろとも打倒しよう! 沖大生は全島ゼネストの先頭に立とう!

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